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UNITY!の活動は1999年、AVACO小川清司記念・視聴覚教育奨励賞を受賞いたしました。

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UNITY! 〜Cyberspace Christians〜を聞いて

文責:ZEDEK


 J-POP GOSPEL

 ついに発売の日がやってきた。構想から完成まで約2年半の歳月を費やして、"UNITY!〜Cyberspace Christians〜" はついに日の目を見ることになった。3月の1週目には各キリスト教書店に並ぶ予定だが、すでに予約完売となった店もあると聞く。各方面の注目度は高い。購入や注文は早めにしておいたほうがよいだろう。
 ところで、私の手許にも印刷されたばかりのジャケットに身を包んだCDが送られてきた。さっそく開封して聞いてみる。制作側のスタッフとして発売前の最後に聞いたものはミックスダウンがまだ完成していないデモテープだったので、完成したCDのサウンドはとても新鮮に感じられた。これらの曲を聞いてなんと形容したらよいだろうか。しばし感慨にふける。
 過去において、このような日本人のつくったゴスペル賛美はなかったわけではない。わたしは多くの無名のアマチュアゴスペルミュージシャンが存在していることを知っている。しかし、プロとして表に出てくる人はわずかだ。また多くのゴスペルミュージシャンの活動は自分の所属する教会、教派の枠内に留まっていることが多く、その活動範囲が限られているゆえに知られていないことも多い。
 しかしこのCDは、そのような今まであった、プロとアマ、教会、教派という垣根を越え、さらに音楽性に至るまで文字どおりユニバーサルなものとなっているという意味で、まさに日本のゴスペルミュージック界の転機ともなり得る存在である。
 サウンド面にしても同様の事が言えよう。このCDに収録されている楽曲のバラエティは実に豊かだ。ポップス、ボサノバ、ロック、演歌、プレイズなど、いままでになじみのあるサウンドから、初めて聞くものまである。そしてこれらの曲は確かに日本人のつくった曲なのだ。
 「J-POP GOSPEL」もし、新しい音楽のジャンルが定義付けられるとしたらこのように呼びたいと思う。日本人のつくったポピュラーなゴスペルミュージック、いままでのゴスペルミュージックの枠に縛られない新しいサウンド、新しいコンセプトがここにある。「わたしたちはみんな違う、だけど主にあってひとつだ!」そんな思いがこのCDには込められているのである。

 さて前置きはこのぐらいにして、各曲の感想を書いてみたい。

 1、オーヴァーチュア "Access To The Lord"
 1曲めのオーヴァーチュア"Access To The Lord"は、このアルバムの音楽プロデューサーをつとめる「うしま〜く!」こと宮崎氏の曲だ。今回のサウンドはブリティッシュロックをイメージしているということもあって、イントロからプログレッシブロックのサウンドが響く。一時期一世を風靡したELPのキース・エマーソンばりの変拍子とハモンドオルガンサウンドに乗ってテーマ曲となる「たたえよ主を」の主旋律が鳴る。いまからサイバースペースへ引きずり込むぞといわんばかりの迫力だ。いきなりこれでびっくりした人もいるだろう。まさかこのアルバムは最後までこのままで行ってしまうのではないかと心配した人は安心してほしい。

 2、Tell Me The Way
 2曲めの"Tell Me The Way"は対照的に美しく豊かな曲だ。アルバム中最多の曲を提供している「パンくず」さんによる、都会の大人の雰囲気をあわせ持った曲だ。ボーカルの谷渕さんのしっとりとした歌声は、それらのイメージをさらに豊かに膨らましてくれる。まさに疲れ切った心にキリストの愛が水のようにじわっとしみ込んでくる歌である。

 3、空の鳥よ野の花よ
 "空の鳥よ野の花よ" はパンくずさん率いるPSALM(サーム、詩篇という意)による美しいプレイズ曲だ。乾き切った都会のジャングルにおいて、神の恵みのオアシスがイメージされる。

 4、パラダイス
 さて、ふたたび都会の雑踏に戻り、みんなどこへいくんだろうという一人の男性の問いかけがなされる。"パラダイス" は同じく「パンくず」さんによる曲だ。こちらはアップテンポな軽快な曲で、私たちの目指す先がパラダイス(天国)にあることを教えてくれる。

 5、十字架の愛
 さて、都会の雑踏も夕方になれば家路につく人の群れに変り、路地裏の赤ちょうちんの下では酒によったおやじどもが一日あったことのぐちを言い合っている。そんな光景をイメージしたわけではないが、"十字架の愛" はまさに演歌だ。実はわたしが6年前に原宿の教会で奉仕させていただいている時につくったものだ。讃美歌というものは美しさを求めるあまり歌詞が隠喩的になりがちである。もっと福音のメッセージをダイレクトに歌えないだろうかと思っていきついたのが演歌という日本では最もポピュラーな音楽だった。「釘で両手を刺されて」とか「赤い血潮」「汚れた心」というような歌詞は、なかなか普通の曲には乗せられない。それは「ゴルゴダ」とか「罪深さ」「汚れた心」という単語自体が多くの濁音を含んでいるため、柔らかな旋律にマッチさせることが難しいからである。しかし演歌はどうであろうか。こぶしを利かせて歌う演歌には、強い発音こそが力となるのである。だからこそ、この曲ではペテロの悔しさ、悲しさ、みじめさが余すところなく表現できたのではないかと思う。自分でいうのも何だが、一度聞いたら忘れられない曲だ。歌は町田の教会で牧師をしているたいぢ氏がつとめて下さった。たいぢ氏は以前はイタリヤ歌曲のテノールを歌う、元プロである。なんといってもこの声のよさにほれぼれするのは私だけではあるまい。

 6、あなたばかりの
 さて、" あなたばかりの" をうたうマン太郎は高校生である。デモテープを聞いた時はギターの弾き語りであったこの曲は、うしま〜く!氏の手にかかって、なんとも優しく可愛らしい曲に変貌している。しかしこの歌詞のなんと素直で伸びやかなことか。荒れていた少年時代を振り返りつつも、主によって変えられた素晴らしい信仰告白がここにある。

 7、こころのとびらをひらくと(うしま〜く!版)
 "こころのとびらをひらくと" はこのCDに2曲入っている。どちらも作詞者は小柳さんという当時小学校6年生の女の子だ。こちらはうしま〜く!氏が作曲したほうで聖公会で発行されている95年度古今聖歌集増補版に含まれている。こどもの心でつくった素直な歌をこれまた、こどもの喜多ゆりちゃんが一生懸命歌っている。歌詞もメロディーもこども讃美歌として十分もちいることのできる素晴らしい曲だ。

 8、タリタ・クミ
 主が私に新しい命を与えてくれたという信仰告白を歌った "タリタ・クミ" も名曲である。神様が私たちに対して望んでおられること、それは「生きよ!」というメッセージだ。全ての人間は罪という病によってひとり残らず死ぬという運命に定められている。ゆえにキリストは十字架の贖いによって私たちに命を与え、「生きよ!」というのである。ここで歌われているのは復活である。それは罪あるままで生きることではない。キリストの命を受けることによってまったく新しい人間として生きることなのだ。ここでも谷渕さんによるしっとりとした落ち着いた歌声が、こころをなぐさめてくれる。

 9、もう踊らずにはいられない
 キリストによって新しく生まれた者はどうなののだろうか。"もう踊らずにはいられない" はまさにその心境を歌ったものだ。キリストに出会い、キリストに新しくされたものは、もう踊らずにはいられないのである。この歌詞に歌われているメッセージは重要である。なぜならキリストによる救いは自分の力によるところではないからである。「あなたのみ心に触れた時に、心の扉を開かれて」という歌詞は、救いがキリストによって送られてくるプレゼントなのだということに気付かせてくれる。この素晴らしいプレゼントを受け取った時、私たちはみなもう踊らずにはいられないのだ。ハレルヤ!

 10、賛美の声がする
 さて後半は、通りすがりの教会の中から聞こえてくる賛美の声からはじまる。キリストによって救われたことを喜ぶ人々の声だ。小歌風にまとめられたこの曲はギター一本で歌うことができる。あなたの教会でもいかがだろうか。

 11、主のもとへ帰ろう
 "主のもとへ帰ろう" を作曲した須崎隆子さんは、実はもうこの世にはいない。主に召されたのだ。彼女の死に際してつくられたこの歌は、主のもとに帰っていく安らぎと喜びが豊かに表わされている。涙なしには聞くことのできない悲しくも美しい曲だ。「罪の支払う報酬は死である」という聖書の言葉通り、キリストによる復活、新しい命が約束されているにも関わらず、私たちはやがて死を迎える。死を迎えてこそ天における新しい命は現実のものとなるからである。それはこの世界に別れを告げる時である。クリスチャンと称する者でさえこの事実に目を背けようとする場合がある。この世に対する未練が私たちの心を縛っているからだ。しかしその事実に目を留め、その運命を受け入れ、わたしたちにあたらしい命をお与えになるキリストを一心に見つめる時、主のもとに帰る心の準備ができるのではないか。主のもとへかえろう、そこはわたしたちのふるさとなのだ。演奏はうしま〜く!氏率いるElpisのメンバーによる。ボーカルのとも子さんのおちついた声は、曲の美しさと相まって感動を与えてくれる。

 12、わたしはここにいる
 わたしは賛美はその目的によって幾つかに分類することができると思っている。一つは純粋に神様を讃美するものであり、二つめは人々に対して福音を伝えようとするものだ。"わたしはここにいる" は、ある意味でターゲットをしぼって作曲したメッセージソングである。よって歌詞も曲もそのように意図してある。近年、中高生の自殺が激増している。自分の存在意義を見い出すことのできない少年少女たちが増えているのである。「どうしてわたしは生まれてきたんだろう?」という疑問は、いまや将来に向かって希望を持っているはずの若者たちの心を支配しているのだ。しかしそれでも神様はこの世界を治め、私たちを愛し、わたしたちに生きる意味を思い出すようにと求めているのである。「わたしはここにいる」という歌詞はイザヤ書65章から引用した。私たち自身がここにいい生かされているということ以上に、神様が私たちに対して「わたしはここにいる」と呼びかけておられることを表現したいと思った。コーラス2の歌詞はまさに神様からの私たちに対する呼び掛けである。「わたしはわたしを求めなかった者に問われることを喜び、わたしを尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ。わたしはわが名を呼ばなかった国民に言った、『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と。」イザヤ書65:1

 13、主イエスのささやきを
 さて、一転して雰囲気の違う曲である。"主イエスのささやきを" はパンくずさんのつくったボサノバ賛美だ。わたしのもっとも気に入っている曲の一つでもある。すなおさをテーマにキリストの語りかけに耳をすまそうとうたう。キリストの声はあらゆるところで聞くことができる。しかしそれはささやき声なので、耳をすまさなければならないのだ。ところで、ボーカルの山口さんはけだるい雰囲気で実にうまく歌っている。

 14、こころのとびらをひらくと(P&J版)
 もう一曲の "こころのとびらをひらくと" の作曲者は "賛美の声がする" を書いたぴー氏である。このみずみずしさと清々しさは驚くばかり。歌詞は同じだが、こちらはがらっと成熟した美しさを持った曲になっており、同じことをテーマに歌っている曲とは思えないほどである。前述の "こころのとびらをひらくと" も素晴らしいがこちらはこちらでとても素晴らしい。

 15、あの日のこと
 "あの日のこと" とは何か。それは阪神淡路大震災のことだ。作曲者の福山さんは神戸在住。震災の被災者である。編曲してみないかとうしま〜く!氏にわたされたテープは、粗悪な録音のギター弾き語りのものであった。しかし一聴して惚れ込んだわたしは、オリジナルの雰囲気を壊すことなく、よりダイナミックに震災の復興と信仰の復興を表現できないものかと考え、イントロと中間部分の間奏を新たに補作することにした。イントロには悲しむ人々、崩れ落ち煙りをあげる街、そして同じく崩れた教会堂、そこにたたずむ塔のイメージを。そして間奏には、そこから復興していく人々の力と躍動感を表現しようとつとめた。ベースとなる編曲を終えたわたしはそのデータをうしま〜く!氏に渡し、わたしの技術不足から十分に表現できなかった部分を補ってもらう。こうして"あの日のこと" は完成した。うしま〜く!氏との共同作業によって、この曲はまさにイメージ以上のものとなっているはずである。
 ところで、曲以上にこの歌には私たち人間のはかなさ、もろさが表わされていると思う。どんなにコツコツと貯えてきたものがあっても、ひとたびその土台となるものがゆらいだとき、その積み上げてきたものは一瞬の内に崩れ去ってしまうのである。聖書に砂の上に家を建てた人と、岩のうえに家を建てた人の例え話が出てくる。ひとたび嵐が来ると砂の上に建てた家はたちまち崩れ去ってしまうのである。私たちの土台は何だろうか。この世の土台に完全なものは一つもない。命の源であるキリストだけが唯一の岩なる土台なのである。神戸には私の友人も多くいる。ある病院に勤務しているクリスチャンの夫婦は震災の起こる前の夜、特に理由もないのだが、たまたま家具の置いていない部屋にねた。地震によって目が覚めた時、家中の家具はすべて倒れており、いつもの寝室はわきのタンスや家具が倒れていてたいへんな状態になっていたという。もしいつものようにあの部屋で寝ていたらと思うと、神様に感謝をささげずにはおられなかったという。神様が家具の置いていない部屋に寝るよう導かれた。そして彼らはおびただしいけが人たちを介抱するために病院に向かったのは言うまでもない。病院についてみると、スタッフは一人も欠けていなかったという。神様は私たちの必要を御存じで全てを用意して下さるのだ。

 16、きよきあさに
 力強いマーチングサウンドにのって、YAMAHA SY-80似のストリングスサウンドは、ヴァンゲリスによる炎のランナーのテーマ曲を彷佛とさせる。キリストこそが救いの源、命の源、すべてのものの土台となる存在である。パンくず氏とうしま〜く!氏による、このUNITY!のために書かれたといってもよい曲である。わたしたちクリスチャンの信仰告白がここにある。日々主に従っていこうではないか。

 17、たたえよ主を
 "たたえよ主を" はUNITY!の主旨にそったテーマとなる曲があればという目的から、このCDのために書いた曲である。いろんな人が一同に歌えたらということで、"We Are The World" を参考にして書いた、"UNITY! 版 We Are The World" である。"We Are The World"はもうかれこれ10年以上まえになるだろうか、マイケル・ジャクソンらが作詞作曲プロデュースした、アフリカの飢餓対策のために募金をつのった曲で、多くの有名ミュージシャンたちの合唱が有名である。なお、おなじアルバムには、デビット・フォルターがプロデュースし、エアサプライなどのカナダ系ミュージシャンたちが参加した、カナダ版"We Are The World"も収録されている。この手の手法はその後各方面で用いられることになった。"たたえよ主を" の歌詞には、感謝、献身、讃美という礼拝の要素を含めてあり、歌う人たちの信仰告白となるようにつくられている。

 ところで、わたしも素人ながらこのCDに3曲もの曲を提供させていただいた。これが実現できたのもひとえに、音楽プロデューサーのうしま〜く!こと宮崎氏のおかげである。わたしも昔から趣味で作曲をしてはいたが、きちっと楽器をならったわけでもないし、音楽の勉強を専門的にしたわけでもないので、その技術力はたいへん水準の低いものである。しかし宮崎氏との出合いは、そんな私に救いの手を差し伸べることになった。宮崎氏は私と同じ歳ということもあって、昔から聴いてきた音楽にかなりの共通点があり、それゆえ音楽センスにおける共通点も多々あったのである。自分は頭にイメージできるが、それを実際に耳に入れられるものとして完全に表現することができないというジレンマを持っている。しかし宮崎氏はプロのミュージシャンであり、表現力、技術力は申し分ない。事実、宮崎氏に自分の曲を託すことによって、それは私がイメージしていたものとなり、さらにそこに宮崎氏のイマジネーションが加わって、よりダイナミックで、ドラスティックなものとなったのである。とくに「あの日のこと」「たたえよ主を」のデモテイクはおせじにもすばらしいと言えるものではなかった。しかしそこには宮崎氏に理解できるには十分な要素が含まれていたと思う。事実、これらの曲のイメージは私の予想したもの以上となった。宮崎氏に心からの感謝を表わしたい。
 このCDがこれからの日本のゴスペルミュージック界のスパイスとなることを祈るものである。


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